研究者として美術史を学び、社会人としてのキャリアを経て、現代美術家とイラストレーターへと転身した Yoko Ichikawaさん。国内外のアーティスト・イン・レジデンスを拠点に、インスタレーションとドローイングを軸とした作品制作を続けています。
Yoko Ichikawaさんの表現の特徴は、自身を地域や社会の声を可視化する「媒体(メディア)」として捉えている点にあります。
2026年2月~3月に開催された、廃棄物を用いた『ACTA+』のパブリックアート展「神秘の森」では、アーティストの一人として、来場者が日常から切り離されるような不思議な「森の空間」を表現しました。

今回は、Yoko Ichikawaさんがアーティストとして歩み始めたきっかけから、創作スタイル、生成AI時代における表現者としての思想、そして今後の展望までを伺いました。
美大ではなく、研究室から。美術史から歩み始めたアーティストの道
――まずは、簡単に自己紹介をお願いします。
Yoko Ichikawaさん:
私は、現代美術家とイラストレーターとして活動しています。活動拠点は群馬県と東京都で、制作の際は国内外のアーティスト・イン・レジデンスに滞在しながら作品をつくることが多いですね。
主な制作媒体は、インスタレーションとドローイングです。
――Yoko Ichikawaさんは、アーティストとしては少し珍しい経歴をお持ちですよね。
Yoko Ichikawaさん:
そうですね。いわゆる美大出身ではありません。大学は国際基督教大学(ICU) に進学して、美術史を専攻していました。専攻したテーマは「19世紀イギリスのタペストリー」という、とてもニッチな分野です。
また、当時はグラフィックデザイナーになりたいと思っていたので、ICUに通いながら、桑沢デザイン研究所にも通っていました。いわゆるダブルスクールですね。ただ、そこで周囲の人の才能に圧倒されてしまって、一度はデザインの道を諦めたんです。自分にとっては大きな挫折でもありましたね。
その後、一橋大学大学院に進学し、ICUと同様に美術史を専攻して研究を続けました。
――2026年の『ACTA+』のパブリックアート展にも参加されているのですよね。
Yoko Ichikawaさん:
はい。2026年2月~3月に東京で開催された『ACTA+』のパブリックアート展「神秘の森」にアーティストとして参加しました。廃棄物を活用しながら、「あれ?ここってどこだっけ?」と、来場者がふと立ち止まるような感覚を味わえる森の空間を表現しました。


△神秘の森展示作品「Still Growing」
「人生でやり残したことはないか」。留学と仕事を経てたどり着いた30代の決断
――もともと、アートは好きだったのでしょうか。
Yoko Ichikawaさん:
はい。子どもの頃から、つくること自体は好きでした。絵を描いたり、段ボールや紙粘土で何かをつくったりしていましたね。NHKの番組「つくってあそぼ」のワクワクさんが大好きな子どもだったんです(笑)
――大学生の頃、一度デザインの道を諦めたとのことでしたが、その後なぜアーティストを目指されたのでしょうか。
Yoko Ichikawaさん:
大学院卒業後は、社会人として働き、途中で留学も経験しました。日本に戻ってきて、転職を挟みつつ仕事を続けていたのですが、その頃から、今の仕事があまりにも忙しくなってしまって。
そのときにふと、「人生でやり残したことはないかな」と考えたんです。ビジネスのキャリアをこのまま積み重ねていくのか、それとも今しかできない方向転換をするのか。
「新しいことを始めるなら、このタイミングしかないな」と思いました。ずっと「つくりたい」という想いはずっとあったけれど、なんとなく目を逸らしていたんですよね。
であれば、表現の道を選ぼうと決断し、まずは自宅で材料を集めて作品をつくり始めました。
――そこから、現在の制作スタイルにつながっていくのですね。
Yoko Ichikawaさん:
はい。ただ、私はSNSが得意なタイプではないですし、アワード(賞)も実績がないので難しい。そこで、自己分析を徹底的に行いました。
「美大出身の作家とは違う」という前提に立って、「自分にしかできない表現は何だろう?」と考えた結果、インタビューを通じて作品をつくるスタイルにたどり着いたのです。
また、その頃にアーティストが一定期間、特定の地域で創作活動を行う「アーティスト・イン・レジデンス※」という仕組みを知りました。
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※アーティスト・イン・レジデンス事業(AIR)とは |
その後、地元のアーティスト・イン・レジデンスに初めて採用されたことが、アーティストとして本格的に動き出すきっかけになりました。
――その後、『ACTA+』との出会いがあったとか。
Yoko Ichikawaさん:
はい。実は、アワードに初めて応募したのが『ACTA+』さんでした。コンセプトを立ててプレゼンテーションする形式が、自分の強みと合っていたのだと思います。
場に足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。「結界」のインスタレーション
――Yoko Ichikawaさんは、ご自身の創作スタイルを「自己表現」ではなく「媒体(メディア)」だと定義されているのだとか。
Yoko Ichikawaさん:
そうですね。「自己表現」という言葉には、少し違和感があるかもしれません。
私は、作品と自分自身はイコールではないと思うようにしています。
たとえば、作品が否定されたときに「自分そのものが否定された」と感じてしまうと、制作を続けることが難しくなるからです。
あくまで、テーマに対して思考を重ねた上のアウトプットがビジュアルアートなだけで、作品と自分は少し切り離して捉えるようにしています。
どちらかというと、地域や社会、その場の感覚などを私が具現化・表面化する「媒体(メディア)」のようなイメージが近いかもしれません。
――作品には、どのようなテーマやメッセージが込められていますか。
Yoko Ichikawaさん:
初期の頃は「人と人との対話」をとても大切にしていました。滞在制作先で地域の方と話すと、自分が知らなかった歴史や文化、その土地ならではの感覚を教えてもらえるので、そこでの内容を作品のテーマとしていました。
しかし最近は、「対話は人と人だけではないな」と感じています。動物と関わるアーティスト・イン・レジデンスでは、馬と向き合いながら作品をつくった経験もありますし、自然そのものとの対話にも関心が広がっています。
特に興味があるのは「自然が持つ二面性」です。自然は美しく、恵みなどを与えてくれる存在でありながらも、地震や災害など、一変するような怖さを持っています。そうした自然の二面性を作品で表現したい、という意識が強くなっています。
――そうしたテーマが、インスタレーションという表現につながっているのですね。
Yoko Ichikawaさん:
そうですね。作品を外側から俯瞰して見るようなイメージが好きです。インスタレーションが好きなのは、「場」そのものを扱えるからです。作品の場に入った瞬間に空気が変わり、日常とは切り離された別世界が立ち上がるような感覚に魅力を感じています。
以前、TARRYTOWNという作品でお世話になった演出家の中原和樹さんから、「Yoko Ichikawaさんの作品は結界みたいだ」と言われたことがあって。
その「結界」を張るようにして自分の世界観を展開する表現は、インスタレーションの面白さだと思っています。
――その「結界を張る」ような表現や技法が、テキスタイルとドローイングなのですね。
Yoko Ichikawaさん:
はい。自分では、あくまで「ドローイング」だと思っています。描く対象が布だったり、木だったりするだけで、基本は「描く」という行為がベースです。
同じデザインでも、布に描くのと木に描くのとでは、印象がまったく変わる。媒体が変わることで、表現の意味や空気も大きく変化するのが面白さですね。
生成AI時代だからこそ問われる、空間を扱う表現の価値
――生成AIが急速に発展する中で、アーティストとしてどのように向き合っていますか。
Yoko Ichikawaさん:
これから生成AIとアートの関係性については、今後ますます議論が深まっていくテーマなのではないかと思っています。
ただ、インスタレーションに関しては、生成AIにはできない領域がはっきりしていると感じています。アイデア自体は、AIでもいくらでも生み出せると思いますが、「場」をつくることは、人間にしかできない表現なのではないかと信じています。
――創作のアイデアは、どのように生まれているのでしょうか。
Yoko Ichikawaさん:
私はレジデンスでの制作が多いので、まずテーマが与えられることが多いですね。
たとえば「三重をテーマにしてください」と言われたら、まず現地に行って、図書館で地域の歴史を調べ、インタビューをして、実際に歩き回ります。そうしているうちに、「あ、これだ」という瞬間が訪れて、アイデアが生まれることが多いですね。
身体を使う、場所を使う、時間や空気を扱う。そうした経験から生まれるアイデアやインスピレーションなどが、これからの時代における表現の強みになると思っています。
――だからこそ、パブリックな場での表現にこだわっているのですね。
Yoko Ichikawaさん:
はい。社会に直接ひらかれた場所で作品を届けたいという思いがあります。
社会に届く表現をこれからも。10のレジデンスを経て見えてきた、次の展望
――これから目指したい表現や、挑戦したいことについて教えてください。
Yoko Ichikawaさん:
昨年参加したスペインで、10件目となるアーティスト・イン・レジデンスでの制作となりました。ちょうど節目的なタイミングなので、これを機に、自分がこれまで何を考え、どのような表現をしてきたのかを、まとめて見せるような個展をやってみたいなと考えています。
特に、これまで私がアートをやっていることを知らなかった人や、レジデンスに興味はあるけれど一歩踏み出せずにいる人たちに向けて、入口になるような個展をつくれたらと思っています。いつか海外でも個展に挑戦したいですね。
――最後に、『ACTA+』への期待をお聞かせください。
Yoko Ichikawaさん:
『ACTA+』さんには、アートを社会にメッセージを届ける手段として捉えているところに、強く共感しています。
廃棄物を素材にしながら、社会や環境、私たちの価値観に問いを投げかけていく姿勢は、私の表現とも重なる部分が多いです。
これからも、パブリックな場でアート活動を一緒に広げていけたら嬉しいですね。