廃棄物アートを通じて問いかけたいこと──本当に「芥」は役目を終えたのか?

廃棄物アートを通じて問いかけたいこと──本当に「芥」は役目を終えたのか?

「廃棄物」から思い浮かべるもの。山のように積み上げられたゴミ袋、海に漂流するプラスチック、腐敗した生ゴミ、役目を終えた家電製品。多くの人にとって、「廃棄物」とはネガティブなイメージと結びついているかもしれません。けれど、本当にそれらは「ただのゴミ」なのでしょうか。ACTA+では、それらを単なる「廃棄物」という言葉ではなく、「芥(アクタ)」と呼んでいます。芥とは、辞書には「ゴミ」や「くず」として表記されていますが、「人から見放されたもの」や「役目を終えたもの」を表す言葉としても使われます。社会から見捨てられ、一見、役割を終えたように見える芥。しかし、一つ一つの素材を掘り下げると、「廃棄物」という言葉では語りきれない「芥」としてのストーリーが見えてきます。

ACTA+が定義する「芥(アクタ)」とは

ACTA+では、「役割を終えて社会のシステムからはみ出してしまったものたち」を「芥」と定義しています。何かを生み出すためには、どうしても不要なものが生まれます。例えば、エネルギーを生み出すために採掘された石炭の燃えかす。あるいは衣服を作る過程で生まれた生地耳(きじみみ)と呼ばれる裁断くず。こうしたものは、経済や暮らしを支える生産活動の中で生まれたものですが、役割を果たした瞬間に不要とされ、廃棄物として扱われます。

しかし、石炭のかすであればエネルギー資源、生地耳であれば衣服というように、ものを生産する過程で結果として不要になっただけで、本来は人々の暮らしを支えるために使われるはずだったもの。つまり、「人の手によって生産されたものの、その代償として生まれたもの」だといえます。私たちは、このようなものを「芥」と捉えています。

芥にはストーリーがあります。芥の生まれた場所とルーツをたどることで、ただの「廃棄物」では見えなかったストーリーが鮮明になります。私たちは「芥」に秘められた物語を発掘し、人々に伝えていきたいと考えています。芥がどこで生まれ、誰の手を経て生み出されたのか、ストーリーを知ることで新たな価値が見えてくるはずです。

ACTA+が見つけた「芥(アクタ)」のストーリー

大牟田・三池炭鉱の石炭かす

石炭は、日本の近代化や戦後の高度経済成長を支えた重要なエネルギー資源です。一方、炭鉱で排出される石炭かすやすすは大気汚染や健康被害などの要因になり得るため、負の遺産として捉えられがちです。

私たちは、福岡県大牟田市で珍しい釜があることを知りました。それはグラウンドにラインを引く白い粉を作る釜で、300年ほど前から存在する歴史あるもの。日本には片手で数えるほどしか存在しないそうです。この釜に石灰石と炭を入れて高温で焼くと、皆さんがよく知るあの白い粉ができあがります。

この釜には、年に1回、火入れをします。最初の火入れはテスト運転なのですが、その時にできるものは品質が安定せず、製品としては使えません。そのためそのまま産業廃棄物として処分されます。私たちはこの石灰粉の背景に目を向けました。

300年以上の歴史を持つ釜、手作業で行われる火入れ、そして地元の人々の手によって守られてきた伝統技術。そうした要素が凝縮されたこの石灰粉には、他にはない時間と物語が宿っています。ACTA+では、この石灰粉をアーティストとともにアート作品へと昇華させる試みを始めていきたいと考えています。

縫製工場から出る生地耳

もう一つ、私たちが注目しているのが今治タオルの生産過程で出る「生地耳」です。生地耳とは、衣料の縫製を行う際の裁断工程で、デザインやサイズの都合で使われずに切り落とされる切れ端部分のこと。たった数センチの生地耳でも、数が増えるとトン単位の廃棄物になります。現代のファッション・アパレル産業では、大量生産が一般的です。衣料品を生産するたびに生み出される生地耳を芥として活用し、アート作品や雑貨作品に生まれ変わらせる取り組みを行なっています。

素材のルーツをたどれば、土地、文化、技術、そして人の営みが見えてくる。「芥」は、そのすべてを内包した証であると私たちは考えています。

なぜACTA+は「廃棄物」をアートにするのか

廃棄物は、消費社会が生み出すいわば影のような存在です。私たちは「アート」という手段で廃棄物に光を当て、社会の構造や生産と消費のあり方を問いたいと考えています。

「なぜ廃棄物は生まれたのか? どうしていらなくなってしまったのか?」

私たちは、この問いを投げかける手段としてアートを選択しました。ただ廃棄物を再利用するのではなく、「芥」として生み出された背景やストーリーを可視化し、観る人の内面に深く訴えかけるには、アートが最適だと感じたためです。

アートを通じて、不要なものとして見過ごされてきた廃棄物に光を当てて、生産と消費のあり方を問うことがACTA+の役割です。消費を重ねる現代において、便利さや効率性が重視される一方で、見過ごされているものがあまりにも多く存在します。

アートという形で芥を再提示することで、鑑賞者の心に静かに、しかし確かに問いを届けたい。廃棄物の背後にある歴史、手間、価値に思いを馳せるきっかけとなることを願っています。

終わりに:捨てられるものに、もう一度まなざしを

私たちは日々の生活を送る中で、膨大な量の情報やものを「見なかったことにして」暮らしています。消費の波に乗り、新しいものが次々と生まれる一方、役目を終えた芥の存在は視界の外へと追いやられがちです。

ACTA+が届けたいのは、その存在を見過ごされがちな芥の価値を問い直す、「再発見と再定義」の体験です。ACTA+の作品や取り組みが、「これは何からできているのか」「なぜここにあるのか」と考えてもらえるきっかけになれば幸いです。

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